「人生の危機」と隣り合わせ の生活困窮世帯
私たちは生活困窮にある方たちへの支援活動を行うなかで、「今日食べる物がない」「今、住むところがない」
「保険証が無くて病院にいけない」など「医食住」がままならず、生活の危機、時には人生の危機に直面している人たちを目の当たりにしてきました。
現在、日本の約6人に1人が、相対的貧困状態にあるとされています。諸外国と比較しても先進7カ国で構成されるG7では、相対的貧困率※がワースト1位であり、先進国が加盟するOECD 37カ国中においても7番目に悪い水準となっています。日本では、栄養のある食事、病気の治療、寒さを凌げる住まいの確保など、まわりの大多数の人たちにはあたりまえにある生活ができてない人が多く存在し、子育て世帯においては子どもたちの健全な成長や進学の自由などにも、悪影響を及ぼしています。
※所得が貧困線(全人口の家計所得中央値の半分)を下回っている人の割合。(OECD経済協力開発機構の定義)
OECD (2023), Poverty rate (indicator). doi: 10.1787/0fe1315d-en (Accessed on 11 February 2023)
日本のひとり親世帯の就業率は86.3%と先進国でトップクラスにもかかわらず、相対的貧困率は51.4%と最下位レベルです。この状況は「自助努力が足りない」「自己責任」の問題ではなく、社会構造の問題といえます。
ひとり親世帯の所得が低い理由としては、稼ぎ手がひとりしかいないということ以外にも、子どもが小さいうちはパートタイムなどの非正規就労を選ばざるを得ないことや、けがや病気などで収入が減ってしまうことなどが考えられます。また離婚後に70%以上の父親が養育費を払っていないことも母子世帯の困窮に大きく関わっていると考えられます。
厳しい生活状況の中では、食べ物にも事欠くような危機に直面することもあります。内閣府の調査では、「過去1年間に必要とする食料が買えなかった経験があったか」の問いに、母子世帯の32.1%が「あった」と答えています。
おなかいっぱいに食べる、学校で必要なものをそろえる、学びたいことを学ぶという子どもにとって安心できる生活を与えられないほど、厳しい生活状況のひとり親や困窮世帯の親が少なくありません。
過去1年間に必要とする食料が買えなかった
経験はあったか
出展:令和3年子供の生活状況調査(内閣府)
生活困窮世帯では、「十分な食事が取れない」「住まいが確保できない」「必要な医療を受けられない」「生活費必需品が揃わない」などと、生活に不可欠な「医食住」さえままならず、危機的な状況に陥る人が大勢います。こうした状況は、安定した生活費を確保できないことによって起こっていますが、それは「仕事が得られない」「離婚後の養育費がもらえない」「家族に対する介護が必要で働けない」「老後の年金の少なさ」等が原因となっていると考えられます。
十分な食事が取れない
住まいが確保できない
必要な医療を受けられない
生活必需品が揃わない
「安定した生活費を確保できない」ことが理由
岡崎市にある生活困窮の事例誰しもが生活困窮に陥る可能性
麻衣さん(30代)は、働きながら中学生と小学生の2人の子どもを育てるシングルマザーです。6年前に離婚したのは夫からのDVが原因でした。逃げるように別れたことから、養育費の取り決めもできませんでした。部品工場のパートタイムで働いていますが、苦しい生活です。子どもの成長によって、制服や体操服が体に合わなくなってきたり、運動靴や上履きのサイズも変わってきたり、ボロボロにもなってきたりもしますが、すぐに買い替えてあげることができません。また、学校指定のカバンが壊れてしまいましたが、とても買い替えてあげることができません。
体調を崩しやすい小学生の次女の通院や看病のために、仕事を休んだり、早退することも多いため、給料が月に数日分しか受け取れないこともあります。そんなときは、電気代やガス代を期限までに支払えません。それでも、子どもたちがお腹をすかせることだけははさせまいと、安い食材を工夫して朝夕の食事は、欠かさず用意しています。
ある日、中学生の長女から小さい声で「うちって塾はダメだよね」と聞かれました。麻衣さんがとっさには答えられずにいると、反射的に「あぁ、なんでもない。気にしないで。」と長女。勉強は嫌いではなく、小学校の頃は良かった長女の成績が、中学に入学してから少しずつ下がっていることは気になっていました。「せめて勉強だけは好きなだけさせてあげたいのだけど。」と思っていますが、月に数万円の塾代は出せません。長女には、小学校の修学旅行の際も、鞄やお小遣いを用意してあげることができずに、辛い思いをさせました。頑張って働いているつもりではあるものの、麻衣さんは娘に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。
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初冬の冷えた車内でエンジンを切って、達也さん(50代)は上着を布団がわりに掛け、倒した運転席で目を閉じますが、寒さと不安で寝付くことはできませんでした。
達也さんは高校卒業後、正社員として大手工作機械メーカーの関連工場に勤めました。30代で結婚、1男1女に恵まれ、ごく一般的な穏やかな暮らしを送っていました。
40代になり職場でリーダーを任されるようになった頃、会社の業績が急激に悪化。過重な業務が与えられ、達也さんは精神的にも体力的にも限界に追い込まれるようになってきました。ひどい腰痛と原因不明のめまいに襲われる日々が続き、45歳の時に会社を退職。
失業手当を受けながら仕事を探しましたが再就職は思った以上に困難でした。しだいに妻との仲は険悪になり離婚。自分の手元に残したわずかな預貯金は思いのほか早く消えました。カードローンは上限に達し、家賃も光熱費も支払えず、ついに退居を迫られました。
11月のある日、家族との思い出が詰まった軽自動車に最低限の荷物を積み、行くあてなく車を出しました。仕事が決まるまでの数日のつもりだった車中生活は気が付けば1か月近くが経っていました。手持ち金は350円、前日にコンビニのおにぎりを口にしたのが最後の食事でした。
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貧困から脱することのできる社会を
実現するために
日本では、先進国の中でも相対的貧困率が高く、生活に不可欠な「医食住」さえままならない人が多くいる現状を踏まえ、私たちは「貧困から脱することのできる社会の実現」を目標に掲げて活動しています。「医食住」が不足している問題等への対処療法に留まらず、安定した生活費を確保できない原因となっている社会問題への対策を行うことで、根本治療や予防となる活動も行い、生活困窮から脱することができる人を増やして、社会的インパクト(成果)に繋げることができる活動を行います。